逃避
一週間前に、西日本を大雨が襲いその被害は甚大でした。
私たちの住む地域はたまたま、大きな被害もなく今も平穏な日々が続いています。
毎日、テレビで流れている悲惨な映像は、どこのものなの?家屋の浸水、家族の行方不明、それってどこの話なの?
ついつい、現実ではないのではないかと思ってしまうほどの、つらい現状がリアルタイムで報道され、SNSでは支援物資の募集やボランティアの募集など、あちらこちらでたくさんの投稿がされている。
岡山は降水が少なく、晴れの国とも呼ばれ、災害も少ない県であると思っていたし、実際台風の被害もいつも軽度で、大雨で被害に遭うなんて考えもしなかった。
私たちの地域が被害を受けなかったのは、本当に偶然の出来事で、いつ浸水しても洪水にあっても、命を落としてもおかしくない状況だった。幸か不幸か、なんて言葉では表してはいけないのだろう。自然の力は先読みできない。人間の想像をはるかに超える力をもっているし、過去のデータなんてあてにならないほどとなった。前例がないから大丈夫、なんて、通用しない。
あの雨から、一晩明けて、天気は快晴。あれからは30度を超す真夏日で、雨なんてほとんど降らない。天気予報はひたすら晴れマーク。降水確率は50パーセントで高いほど。
もう1日早く雨が上がればよかったのに、この太陽はどこに隠れていたの、なんてくだらないことをぐちぐち思いながら、しょうもないタラればを考え、今何もできない自分に嫌気がさす。
ボランティアや募金、支援物資の供給、やれることはあるだろう。
だから、何ができるかなって考える前に、動こう。
大した力にならないかもしれないからってあきらめずに、もし自分が被災したら、きっとその小さな勇気と行動が嬉しいから。
自然相手の仕事をしていて、癒されたり満足感を得らえることも事実だから。
災害を憎んだり、自然を嫌いになったりはできない。そうしたところで、前向きの循環は起きないだろうから。
でも、
なにかしなきゃ、自粛して楽しいことなんて考えるのやめよう、とか
そうやって我慢することが必ずしもいいことではないとおもう
明日を生きたかった人たちの奪われた命を想いながら、死にたくて死んだわけではない人たちを想いながら、そして残された命を想いながら
たくさんの命に、ちゃんと顔向けできるような、そんな生き方ができればいいと思う
難しいことばかり考えずに、
難を逃れた私たちは、これからの岡山を、そして今回被災された多くの人の生活をよりよいものにするためにも
前向きな循環をつくっていこう
経済を回そう
被害を受けなかった地域での経済を回して、復興への基盤をつくろう
我慢することだけが、私たちにできることではないと思う
故郷の復活を、心から願うとともに
今回の大雨で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。そして、いまだ行方不明の方々が一日も早く見つかり、家族のもとへ帰れますよう、願っています。
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